HARINEZUMI × 波佐見焼

はりねずみ箸置き(波佐見焼)

かわいいもの見つけた!

雑貨屋さんめぐりをしていたら、こんなかわいいお箸置きを発見。 伝統的な白×藍色の波佐見焼が、ころりんとしたハリネズミさんになりました。とんがったお鼻と大きなおしり(笑)が何ともキュートです。ひとつひとつ職人さんの手描きだから、ほんわかした雰囲気なのです。

一般的なものよりちょっとだけ大きめに作られているので、箸のすわりが良く、安定感もあるんですよ。柄は上の「しずく」の他に、「まめ」「しま」「なみ」「花火」の全5種類。

青の呉須のにじみ具合とか、筆の太さとか、どれも手描きなので絶対同じものは2つとしてありません。個人的には水玉っぽい「まめ」の子がお気に入り。なぜ「まめ」なんだろう・・・そうだ「豆しぼり」だわ、手ぬぐいの!なるほどなるほど。こんなかわいいお箸置きだったら、普段無しで済ませている人でも使いたくなってしまうかもしれませんね。

iittala(イッタラ)②

iittala taika マグ midnight blue
iittala Taika Midnight Blue Mug
Taika Midnight Blue Mug 0.4L

あえてガラスではないイッタラの、お気に入りマグ。青い器たちの中でも特にタイカのミッドナイトブルーは綺麗。フィンラインド語で「魔法」を意味するTaika(タイカ)。ミッドナイトブルーは限定色だったので残念ながら公式のカタログにはもう載っていませんが、昔の童話に出てきた北欧の不思議な魔法の森が、ノスタルジックな切り絵で帰ってきたみたいです。月の光が差し込む真夜中の森の中、一体誰が入って来たのだろうと、不思議な生き物たちがこっちを見ている。想像力をかきたてられるタイカの魔法・・・。たくさんの色を使ったカラーバージョンもありますが、モノクロでも黒×白ではなく、こっちの紺×白が断然いい。たっぷり400ml入るので、デスクのお供によく連れてきます。

ティーマ ドッテドブルー
Teema Mugcup Dotted Blue 0.3L

もう一つ、イッタラの定番Teema(ティーマ)のドッテドブルーも素敵な青の器です。まるで満天の星空のようにキラキラと輝く小さな粒子が、見る角度で表情を変えます。使い勝手が一番よいスッキリしたフォルムのティーマ。形に無駄が全くない分、ドッテドブルーには小さな贅沢がぎゅーっと凝縮されているみたいで、手にするとなんだか特別な気持ちになります。おひとり様カフェタイムには、こちらもぴったりな相棒なのです。

Teema Dotted Blue Mug

iittala(イッタラ)①

Kastehelmi

History of iittala

ガラス製品のイッタラと陶磁器のアラビアは共にフィンランドの2大ブランド。それぞれの歴史は19世紀にまで遡り、同じ時代を歩んできましたが、今はひとつのグループ企業となり、使いやすさと美しさを両立させた現代的な北欧デザインを生み出し続けています。

1873年(ARABIA)スウェーデンの陶磁器ブランド、ロールストランド社(RÖRSTRAND)の子会社としてヘルシンキの郊外、アラビア(Arabia)に設立。
1881年ガラス職人、ピーター・マグナス・アブラハムッソンがヘルシンキ南西部にある小さな村、イッタラ(Iittala)にガラス工場を設立。
1917年カルフラ・ガラス工場(Karhula Glassworks)所有の制作会社アールストローム社(Ahlstrom)に買収される。1960年代半ばまでカルフラ=イッタラの名で製品を販売。
1916年(ARABIA)ロールストランド社がフィンランド人の買い手にアラビア社を売却、独立した企業として生産をスタート。
1930年代アーティストやデザイナーを積極的に起用。より芸術的、実験的な商品を作る企業へと発展。アルヴァ・アアルトやアイノ・アアウトによるガラス器で世界的に有名なブランドになる。
1939年第2次世界大戦で材料不足、労働力不足に陥り生産ストップ。
1945年(ARABIA)カイ・フランクを迎え入れ、アラビアの名を世界により知らしめていく。
1946年生産を再開。物資不足の状況下、繁栄の一路をたどる。
1952年(ARABIA)カイ・フランクによりテーブルウェア界に旋風を巻き起こす代表作、キルタシリーズ(のちのティーマ)発表。
1956年ティモ・サルパネヴァによりiマークのロゴがデザインされる。
1958年カイ・フランクによりカルティオ発表。
1970年オイルショックの影響で、国内における製造に支障。輸入ガラス器との市場競争を増していく。
1988年アールストローム社はヌータヤルヴィ・ガラス工場の大株主であるヴァルツシラ社(Wartsila)にイッタラを売却。ヴァルツシラとイッタラとヌータヤルヴィを合併し、イッタラ=ヌータヤルヴィを設立。
1990年イッタラ=ヌータヤルヴィとアラビアは、ほかのホームウェア・メーカーとともにハックマン社(Hackman)に買収される。
2003年ハックマン社は社名をイッタラに改称。
2007年フィスカース社(Fiskars)の傘下に入る。

(出典:ダイヤモンド社「改定新版フィンランド・可愛いデザインと出会う街歩き」)

ARABIA(アラビア)②

24h Avec プレートとファイヤーキング
ARABIA 24h Avec blue
24h Avec(出典:Fiskars japan

2003年にアラビア創業130周年を記念して作られた24h アベック(Avec)。映画「かもめ食堂」が注目され始めた時には廃盤が決まっていたようで、あのおにぎりのシーンを見た人達から問い合わせが殺到したといいます。シャチョウさんがとってもユニークなscopeさんによると復刻に至るまでは並大抵の努力ではなかったそうで、その後も色々おありのようでしたが、おかげさまで不定期ながら再びまた購入できるようになりました。

わたし個人的には、お皿の裏のロゴが旧だの新だのには、全然こだわりはありません。そもそもこの食器達は、何といってもデザインがいいから使いたいのであって、ロゴを見ながらお食事するわけではありません。楽しくどんどん使うためにある食器なのですから、むしろお手頃価格になるなら新ロゴは大歓迎です。

「24h」は、 フィンランドのデザイナー、ヘイッキ・オルボラ(Heikki Orvola)が手掛けたシリーズ。24時間、どんなシーンでもフィットするようにと作られたフォルムで、トゥオキオも24hがベースです。このアベックはその24hに、カティ・トゥオミネン=ニーットゥラ(Kati Tuominen-Niittyla)がパターンを施したもの。北欧食器であるはずなのになぜか和食が抵抗なく似合いそうな雰囲気は、この模様がちょっと畳の目のように見えるからかもしれませんね。

和食にもぴったりなアベック
和柄な洋食器 Avec(出典:scope

工場のオートメーション化が進み、陶磁器の生産も機械に頼ることが多くなってきました。今ではヘルシンキのアラビア工場見学ツアーはなくなってしまいましたが、かつて公開されていたときは、型から出た器の縁をカットして整えたり、白磁にスプレーで釉薬を掛けたり、ベルトコンベアの流れ作業が見られました。

Arabia Factory
素焼き後のプレートの様子(出典:thetraveltester.com

しかし、大事なところはやはり人の手が必要です。

アラビア工場見学ツアー 転写シートのサンプル
黄色いのが転写シート (出典:thetraveltester.com

規則正しいアベックやトゥオキオなどの模様は、転写印刷を使って絵付けされています。転写とは、絵柄を印刷した転写シートを器に貼り付けてそのまま焼き付ける方法で、台紙、顔料、カバーコートの層からなるシートをぬるま湯にひたすと、台紙がまず剥がれます。それから絵柄の付いたシートを器の形状に沿って正確に貼っていき、その後窯入れをして高温で焼成するのです。すると少し色が付いていたカバーコートは焼けて消えてしまい、模様だけがプリントされているという仕組みです。

ひと筆ひと筆描いている訳ではなく転写だとはいえ、図柄のずれがないよう丁寧に素早くピタリと貼り付けていくのは、熟練した職人さんのなせる技なのです。

avec

ARABIA(アラビア)①

ARABIA 24h TUOKIO カップ&ソーサー

ARABIAはフィンランドを代表する陶器ブランド。現在はオレンジ色のハサミが有名な、FISKARS(フィスカース)の傘下にあります。

Arabia factory building
Arabia factory building (By Dilaudid, CC BY-SA 3.0, Link

1873年、スウェーデンの王室御用達窯だったRÖRSTRAND(ロールストランド)が、事業拡大のためフィンランドのヘルシンキ北部「アラビア」と呼ばれていた地域に工場を建てたことからARABIAの歴史が始まりました。やがてARABIAは、独立したフィンランド企業となって発展します。代表的なデザインがこちら。シンプルなフォルムに、パンジーやカシス、ぶどう、りんごなどの瑞々しい花やフルーツのモチーフが華やかに描かれた 1969年誕生の「Paratiisi(パラティッシ)」 。フィンランド語で「楽園」を表すパラティッシは、ARABIAのクラシックシリーズとして、根強いファンが多いアーティスティックな作品です。

ARABIA Paratiisi
Paratiisi(出典:ARABIA

「Moment」=束の間、瞬間を表す「Tuokio(トゥオキオ)」は、24hシリーズの中でも特にその名がぴったりな、素敵な作品です。

Tuokio
Tuokio(出典:ARABIA

わたし達は1日の中でいろんな瞬間に出会います。何かに心がハッとする瞬間、寂しさに切なくなる瞬間、喜びや優しい気持ちで心温まる瞬間。それは一人で過ごす夜更けかもしれないし、家族や大切な誰かと一緒に過ごすくつろぎの時間かもしれない。どんな時でもそっとそこに寄り添ってくれる・・・それが、このトゥオキオのカップなのです。

トゥオキオ

ユニットで活動しているフィンランドのデザイナー「Helorinne & Kallio」が作り出した、藍色を手描きの太筆でひとつずつ丁寧に並べたような模様は、よく見ると全部濃淡があって温かみがあります。白×紺のシンプルな色味なのに、どこかノスタルジックで不思議なこのトゥオキオは、ARABIAのぬくもりが伝わる柔らかな磁器の肌触りと相まって、使い手の心を引き付けてやみません。

Cornishware(コーニッシュウェア)②

cornishware box

熟練した職人による手仕事

コーニッシュウェアはすべて石膏型を用いて作られます。素地が乾くと型から外し、まず転写プリント方式でバックスタンプを付けます。その後1点ずつろくろに乗せ、回転させながら色付けします。これは職人さんによる手作業です。ひとつひとつ染料を含ませた筆をそっと下ろして、あの美しい青の円を描いているのです。色付けが終わると窯に入れ、まず素焼きを行います。次に透明釉をくぐらせてから1130℃の高温で再度焼くと、表面がガラス化して磁器となります。この工程を経ることによって、コーニッシュウェアは電子レンジ・食洗器・オーブン(※~225℃)で使用可となるのです。

コーニッシュウェア製造過程
絵付けの様子
(出典:Serendipity Loves/Karina Rickards

Eブルー

コーニッシュウェアのアイコンカラーと言えるこの青色は、古くから「Eブルー」と呼ばれています。Electric blue (#7DF9FF) とは、電気の火花、スパークの色、というニュアンスのようですが、絵付け時点で薄めのこのEブルーも、焼成後には少し濃くなって、Capri (#00BFFF) ぐらいになっているような気がします。いずれにしても、ラインナップには他に赤や黄色もありますが、このブルーは格別で、この色が無ければコーニッシュウェアは生まれなかったと言っても過言ではないので、個人的には「Cornish blue」という色名をカラーコードに作ってあげてもいいのではないかと思います。

cornishware oz cup

再び Made in England へ

コーニッシュウェアはかつて、ダービーシャー州チャーチ・グレスリーで作られていましたが、2007年、親会社だった Tabletop Group が破産したため工場は閉鎖されてしまいます。その後チャーチ・グレズリーの工場が再開されることはもう二度とありませんでしたが、幸いにもT.G.Greenは新しい経営陣によって2008年に立て直され、製造拠点を海外(中国)へと移しコーニッシュウェアの生産は続いています。本社よりスタッフを派遣し技術指導を直接行なうなど、現地工場とは常に密に連携をはかっており品質維持に努力を怠っておりません。2017年より製造ラインの一部が英国内に復帰。今現在、皿とボウルの多くがサマセットの自社工場での生産品となっており、手仕事の良さを伝え続けてきたコーニッシュウェアの歴史は、今なお進行形で続いています。

Cornishware(コーニッシュウェア)①

iconic design
コーンウォールの白い波
Cornwall(出典:Cornishware

T.G. Green その誕生

T.G.Greenの創業は18世紀後半に遡ります。イングランド中部に位置するダービーシャーは、石炭と陶土が豊富であったことから磁器産業が盛んな土地でした。

1864年、ダービーシャーの南にある小さな街チャーチ・グレズリー。ある陶器工場を、オーストラリアで財を成したボストンの実業家、トーマス・グッドウィン・グリーンが購入しました。(余談ですがトーマスの妻メアリーは、「不思議の国のアリス」で当時大変有名だった挿絵画家、ジョン・テニエルの実の妹だったそうです)

その工場はやがてキッチンウェア、病院や施設関連の陶器製品、ボウルや調理器具といった家庭用品、紅茶やディナーウェアといった分野でイギリスでも屈指の工場へと成長していきます。T.G.Greenは、1964年までグリーン一族が経営していましたが、その間、2つの工場でのべ700人以上が働いていました。

T.G.Greenは様々な製品を製造しましたが、中でも最も人気のあったのが、1924年に登場した Cornishware(コーニッシュウェア)です。その製法は、旋盤技術を用いて、器を回しながら水色の部分をスーッと薄く削り取ることで、下の白い素地とストライプ模様にするという洒落たものでした。

このチャーチ・グレズリーという街は、コーンウォール地方とは場所も全然違って、全く関係が無いイングランドのど真ん中だったのに、なぜ「コーニッシュウェア」と呼ばれるようになったのか、それには、ある従業員が製品を見て「コーンウォールの空と雲と白い波みたいだ」と言ったことからその名が付いた、という逸話があります。

象徴的なストライプ

コーニッシュキッチンウェア 初期ポスター
初期のコーニッシュ・キッチンウェア
(出典:Cornishware

青と白のボーダー柄のコーニッシュウェアは、やがて子供の本や広告、ファッション雑誌など、様々な場所で頻繁に登場するようになります。お皿からコップ、保存瓶に至るまで、コーニッシュウェアはテーブルウェアの代名詞となって不動の人気を博し、その後広く家庭の食卓を豊かに彩っていくのでした。

変化の時代

1960年代になり、有能で若いデザイナーのジュディス・オニオンズが、これまで40年間変わらなかったコーニッシュウェアのデザインを一新します。新しいラインナップは大変人気となりました。過去20年間において、ジュディスのものも初期のオリジナルデザインのものも、コレクターの間で高値取引されており、その価格は上がる一方です。

しかしながら、企業としてのT.G.Greenは順調ではありませんでした。チャーチ・グレズリーでビクトリア時代からの昔ながらの方法で製造するのは、近代産業と競争力の面でとても太刀打ちできるものではなく、1964年にグリーン一族は会社を売却。そののち経営者が何人か変わりましたが、2007年、当時の親会社だった Tabletop Group が倒産すると工場は閉鎖に追い込まれ、管財人の管理下に置かれてしまうのです。

T G Green Former pottery works at Church Gresley
T G Green Former pottery works at Church Gresley
(By David Rogers / T G Green / CC BY-SA 2.0

そして新しい始まり

けれどこの英国の伝統の灯はそう簡単についえはしません。幸運なことに、良き場所に良きファンがいたのがコーニッシュウェアでした。古くからの愛好家だったシャルル・リカーズ(厨房用品「Chomette Cookware」の取締役)とポール・バーストンが、クリエイティブディレクターである起業家ペリー・ヘイドン・テイラー(奥さんのヴィクが熱心なコレクターだった)と手を組んで、T.G.Greenを再建したのです。彼らは互いに情熱をもってビジネススキルを発揮し、マグカップやお皿やボウルといったバリエーション豊かなコーニッシュウェアをより多くの人々に知ってもらうべく、誰もが自由に購入できるウェブサイトを作りました。それが起死回生のきっかけとなり、コーニッシュウェアは再び、あるべき場所へと戻ってきたのでした。

cornishware blue line

海外工場で生産を続けていたコーニッシュウェアは、現在、イギリスの陶器産業の里であるストーク・オン・トレント(スタッフォードシャー)にて少しずつ、国内生産を増やしつつあるようです。新しい製品の裏には、Made in England のバックスタンプが復活しています。

新しいバックスタンプ
新しいバックスタンプのプリント工程
(By Cornishware – Handcrafted in England

染付の青

染付茶碗 蓋付

白い素地に藍色で絵付けをした染付は、どんなお料理にも合わせやすい万能の器。古くは中国の景徳鎮で盛んに用いられていたこの技法は、日本に伝わると、17世紀の伊万里焼で花開きます。

やきものの青色を出すために用いられるのが、呉須(ごす)という顔料です。かつて愛知県瀬戸地方で産出しましたが量はわずかで、中国から多くを輸入していました。

天然の呉須は黒ずんだ青緑色の粘土(呉須土)で、主に酸化コバルトから成ります。粉末にしてから水に溶いて磁器に文様を描き、上に透明な釉 (うわぐすり) をかけて高温で焼成すると、呉須で描いた部分は藍色に発色します。コバルトの他に呉須土に混じっている不純物(鉄、マンガンなどの酸化物)が多いと、絵付けの部分は青紫色からくすんだ色になり、それはそれで趣があるとして「呉須手」と呼ばれ親しまれました。

呉須土
黒く付いているのが呉須土(出典:weblio辞書

今では発色が安定している人工の合成呉須が中心です。自分で水で摺って作る粉末のもの、チューブに入っているもの、伸びが良く使いやすい、あらかじめメーカーでよく摺り込んである液体のものなど、使い手に応じた呉須が多く市販されています。

現在の人工の呉須(例)
人工呉須の一例(出典:カネアツ釉薬

波佐見焼

block mug

庶民の食卓を豊かにした器

草や花のシンプルな模様に特化し、巨大な登り窯で大量生産することによって、庶民にとって高嶺の花であった磁器は買い求めやすい価格になりました。長崎県の波佐見は、庶民の食文化発祥の地です。

くらわんか碗

江戸時代に作られた、白磁に藍色の呉須で簡単な模様を描いた器で、大量生産によって、これまで高価で手が届かなかった磁器が庶民にも買える手頃な価格になったため、くらわんか椀は広く人気を得ました。

くらわんか椀
18世紀の肥前焼くらわんか椀
(出典 : メトロポリタン美術館 [CC0])

「くらわんか」はそもそも「食べないか」という意味合いの方言で、かつて水運が盛んだった淀川で、大型船に近寄っては乗客に飲食物を商っていた「くらわんか舟」に由来すると言われており、使われていた器にそこから名が付いたと思われます。お会計は器の数でしていたようなので、中には食べ終わると茶碗を船の外に投げ捨ててしまうお客さんもいたようですね。

コンプラ瓶

長崎の出島が海外との唯一の窓口であった江戸時代、この白い波佐見焼の瓶に入れられて醤油やお酒が盛んに輸出されていました。

コンプラの語源は、ポルトガル語の「conprador」で、「仲買人」を意味します。当時、オランダ人相手に商売をする特権を与えられていた日本の商人を「コンプラ商人」と呼びました。

記されている文字の「JAPANSCHZOYA」は醤油、「JAPANSCHZAKI」はお酒を意味します。今ではアンティークとして強い人気があるコンプラ瓶です。

現在進行形の波佐見焼

波佐見で作られた磁器は、やがて日本中の食卓へと広がり身近なものになっていきました。古くからの伝統を受け継ぎつつ、現代人の生活スタイルに合うモダンなデザインや色使いの作品も登場し、和にも洋にも使える幅の出た波佐見焼は、毎日の暮らしに無くてはならないアイテムです。

有田焼の歴史

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豊臣秀吉の朝鮮出兵の後、海を渡って佐賀へと連れてこられた陶工たちの一人が、有田の泉山で磁器の原料となる良質な陶石を発見。 1610年代にこの有田の地で磁器作りが始まったとされます。日本では中世までのやきものは、粘土が主な材料である「陶器」で、陶石に粘土や石灰などを混ぜたものが材料である「磁器」と言えば、外国からしか手に入らない大変貴重なものでした。

初期伊万里様式

1610年頃、肥前(現在の佐賀県)有田で始まった磁器作りは、素焼きをせず素地にそのまま顔料で模様を描き、その上から土灰釉を掛けて一度で焼き上げる「生掛け」が特徴でした。透明感はありませんが柔和な印象です。コバルトから作る「呉須」という顔料を使った藍色の染付が中心で、当時の中国の景徳鎮で作られた磁器の図案を手本にしたものが多く見られます。呉須の使い方に差があるため藍の色味には差があり、厚みがあり重めで少し歪んでいることもある、素朴な作品です。

染付 扇面文 鉢(出典:戸栗美術館)
染付 扇面文 鉢
(出典:戸栗美術館

古九谷様式

1640年代はじめから60年頃までに有田で作られた磁器の一様式です。独自の深みと重厚感のある、緑、紫、黄、赤、藍などの色をたっぷり使った色絵が特徴。初期伊万里よりは全体に薄作りになっており、縁に捻りを入れたり、皿の形にも工夫が施されています。

色絵 瓜文 皿(出典:戸栗美術館)
色絵 瓜文 皿
(出典:戸栗美術館

柿右衛門様式

国内の需要に応じて作られた古九谷に対して、柿右衛門は、海外輸出のために優雅で気品高く作られた様式です。繊細で華やかな花鳥図などといった絵画性が特徴。1659年にオランダ東インド会社から大量の注文を受けるなど、柿右衛門様式の色絵磁器はヨーロッパ向け輸出時代の花形商品となりました。「濁し手」と呼ばれる乳白色の素地と、上絵の赤、緑、青などの対比が美しく、白い空間に十分に間を取って色鮮やかな図案が描き込まれているのが魅力です。

色絵 双鶴文 輪花皿(出典:戸栗美術館)
色絵 双鶴文 輪花皿
(出典:戸栗美術館

鍋島様式

1675年、鍋島藩は現在の伊万里市東部の大川内山に藩窯を築きました。そこで他藩に技術が漏れぬよう門外不出の管理下で作られたのは、幕府の将軍への献上品、特定の大名への贈答品といった御用品。精巧で品格ある造形と絵付は、当時の最高水準の陶工たちの技です。

色絵 小手毬文 皿(出典:戸栗美術館)
色絵 小手毬文 皿
(出典:戸栗美術館



暮らしの器、古伊万里。

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古伊万里とは江戸時代に作られた有田の磁器です。

江戸時代初期に肥前(今の佐賀県有田町)で誕生した日本最初の磁器。盛んに作られ、最寄りの伊万里の港から各地へと荷を載せた船が出ました。以来、有田焼は柿右衛門様式や鍋島様式といった優雅な日本の伝統を生み出します。その中でも、17世紀後半以降幕末までに作られたものを特に古伊万里と呼びます。

食卓のどんな料理をも引き立てることができるのが、この藍色です。染付と呼ばれる技法で草木や花、鳥を描いた器は、遥か昔から、毎日の暮らしの中でずっと使われてきました。手仕事によって生まれる色の濃淡と、あたたかみのある乳白色の素地は、わたしたちを不思議と懐かしい気持ちにさせてくれます。

青いお皿に呼ばれてしまうのは何故なのか。

blue dishes

お皿は青に限る。
もちろん真っ白なのもいいのですが。
でも何故か、ついつい青いお皿ばかりを集めてしまう。
紺色、藍色、水色、マリンブルー、ターコイズ、エトセトラ、エトセトラ・・・。

シンプルだけれど、デザイナーの主張がバシッと濃縮されているのが北欧の食器。

「この図柄はこの青(※WEBの#で始まるカラーコードが指定されるレベル)でなければダメ!」というぐらい色はマストで妥協がありません。本当に秀逸。果たしてその器は、どんなお料理にも合うし、普通に盛っただけでもすごく美味しそうに見える。

かの有名な「かもめ食堂」に出てきた食器たちは、フィンランドではごく当たり前だったのでしょうが、暮らしに彩を添えつつなんだか背筋もピンとするみたいな、完成度の高さを感じさせるものばかりでした。そこから普段の暮らしにちょっとした魔法が生まれます。シンプルな黒い海苔を巻いただけの白いおにぎりが、青い点線模様の ARABIA の Avec の上に乗っただけで映画の象徴になったのです。

avec
tuokio cup

単なる青×白のシンプルな色使いなのに、何故にこれが料理や飲み物と相まみえると、相乗効果が抜群な組み合わせとなるのでしょうか。日本には染付の歴史があるから、もしかしてわたし達は、どこか共鳴するところを青い北欧食器に感じるのかもしれません。

わたしの食器棚の中で青い器たちは、和も洋も一緒に仲良く並んでいます。

shokkidana